子どもの教育どうしよう。。。

最近、子どもの教育についていろいろ思いめぐらすようになりました。なぜなら、いつのまにか、小さいとばかり思っていた子どもが大きくなっていたからです。このことが私を驚かせたのは当然のことで、私は、焦る気持ちを抑えるために真剣に何かを知る必要がありました。
今や自分で着替えをし、歯も磨き、トイレの用事も自分で済ませるようになりました。自分の好みを主張し、考えを述べるようにもなりました。親との時間より、友達と遊ぶ時間を何よりも楽しむようになりました。あれほどまで「はやく夜泣きが終わるといいのに」「はやくオムツが取れたらいいのに」とか「いつになったら自分で寝てくれるのか」「いつになったら私は好きなことができるのか」と夢のように待ちわびていたことが問題ではなくなったのです。長いトンネルにいた時間がそれこそあっという間に過去となり、陽だまりに放り出されたような感じです。さて陽だまりとはいえ、どのような一歩を踏み出し、どこを目指して歩き始めたらいいのでしょうか。
教育についてあれこれ考えてみますが、最後には家庭にもどってくるように思います。教育を含め、すべてを社会にゆだねることも責任を押し付けることもできない世の中です。つまり私たちは、この社会の中を生き抜くことのできる子供を育てるように任せられています。赤ちゃんにひたすら愛を与え注ぐ時間が過ぎたら、次はこの社会を生き抜く力を育てていかなければなりません。この親としての偉大な使命に気づき、何から始めるべきか途方に暮れる私にひとつの言葉がはいってきました。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い』(聖書イザヤ43:4) この言葉は、自分にはすばらしい価値があると言ってくれます。すなわち、私たちの人生には目的もあり、それを心の奥底で知る言葉です。私たちは親として、愛を込めてこのすばらしい言葉を子どもに語ることができます。「あなたはすばらしいのよ。あなたの命にはちゃんと目的があるのよ。今はわらなくても大丈夫、生まれる前から計画されて用意された人生があるのだから。すばらしい価値のある命をもって生まれてきたのだから、これからもずっとそのはずよ」と。こんな風に子どもに教えることができたら、どんなにすばらしいでしょう。人生がわからないとき、迷いがあるときにも大きな励ましになるはずです。そして、この言葉が偽りではなく真実だと信じることのできる理由に、神は私たち親にも同じように語ってくれているのです。『わたしの目には、あなたは高価で尊い』と。そう、子育てで途方に暮れる私にも「あなたはすばらしい」と言ってくださり「あなたには目的があるから大丈夫」と励ましてくださる方がいる。足元がしっかりするような気がします。
私たちは、教育方法を含め社会の状況にいとも簡単に振り回されます。方法論や実際も大切ですが、その足元を決めることとなる心の深い部分の叫びや願い、表面の繕いでは満足できない人の心の深いところに『神』という存在が愛をもって語りかけてくださいます。大切な教えが心にストンと入ってくるような感じ、心が『本当だねぇ』とうなずく幸せが、様々な解決の糸口になりえることを学んだ日となりました。何かいい言葉を聞きたい人に、もう一度。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。』